割とスーパー白目なマジキチ案件。
本日10月3日は9年前の今日私がブログを書き始めた日であり、年に一度のBTOどころかPCもITにもかすりもしない記事を書く事にしているので、興味が無ければスルー推奨、また明日のお越しをどうぞ。
何も考えていなかったので思いつくまま。
ブログを書くということ
だいたい私は飽き性な上に文字の読み書きが嫌いだったので3日で飽きて1週間で嫌になり1ヶ月経たずネタ切れなどやめる理由は色々ございました。期間は適当なので毎回言っている事が違うかも知れないけれど。
しかし、「1年で1日1千アクセスを目指す」と決めたからには目標を達成したいと思い始め、アホな会社の売上目標のような達成してもしなくても何も変わらない漠然とした夢では終わる事は出来ないとして、根拠あるSEOを中心というかSEOのみで記事を毎日書き続けたところ、1年ギリで本当に1日1千に達した。
この時の感情は「嬉しい」などでは無く、「マジかよ良かったこれで終われる」という、受験生が志望校へ合格した時のような心情であり、1人で走り1人でゴールテープを突き抜けたような感覚がございました。
- やらなくて良い事を真剣にやってみる
- 役に立たない事を長期間試してみる
- したくない事を継続してみる
これら3つを1年間続けてゴールした時に気付いた事は、やらなくても良いことをやるのは時間の無駄と思っていたけれど、やってみたら毎日1千人くらいの人が365記事のどれかを探して来ている自分の知識の価値観を知った。
役に立たないと言いつつも、私は会話をする時は役に立つか笑えるかのどちらかであるべきと考えていたので、ブログの記事も役に立つか笑えるかどちらかを目指していた(出来ていたとは言っていない)。
やりたくない事を継続してやってみる行為は文字通りの継続は力なりになっており、文字を読んだり書いたり、そして話したりの能力が明らかに上がっており、今でも出来る事なら読み書きや話したりはしたくないものの、やろうと思えば本1冊を3日で読めるくらいにまで変化した。
9年も続けるともはやそれが自然、当たり前になってしまい、こうして即席とか即興で文章を書けてしまえております。しかもここまで読まれているなら文章力も昔よりは上がっていると思われ、文法とか勉強していないのでデタラメながらも読みやすい作文が出来ている、のかも知れませんな。
私は職業がライターなどではない普通の会社員であり、昔の趣味は音楽鑑賞、マンガ読む、ゲームする、映画見る、テレビ見る、後は酒とタバコという平凡な時間の潰し方しかしていなかったので、それがブログ書く時間へすり替わっただけ。
ゴールテープを切った後も走り続け、途中で2~3回こけた(毎日更新途切れた)ものの、もはやこれが趣味と言えるくらい、むしろライフワーク状態になっていると昨年辺りに気付いた次第。
継続力が無く文章力が無い人に趣味=ブログはおすすめ。
約4千人のヒツジ先輩ファン
ところが多くの人はブログ書くぞと気合を入れてスタートしても続かない。検索で個人ブログがヒットして、面白かったのでトップページから読もうとすると何年か前の日付で終わっているとかあるある。
これ何故なのだろう?私でさえ続けているのに続かない人があまりにも多すぎないか?毎日では無くとも毎週1記事でも良いのでは?と思ったけれど、決定的な違いがアクセス数とリピーター数。
当サイトは一時期1日2万を超えるアクセスがあり、現在は1.2万前後を推移。
アクセス解析によると、昔から一定して約33%がリピーター。再び。圧倒的再訪問。なので仮に2.4万だとしたら8千、現在の1.2万なら4千のアクセスが再訪問。
おそらくブログ続かない人はこれらが原因だと思う。
- アクセス解析を置かず見ようとも思っていない
- アクセス数が伸びずやる気を無くす
- アクセス数を上げようとしない
よく見る放置理由は、「飽きた」というものがあるけれど、書き始めた当初はまだ飽きていなかったわけで、以前ネタにしたウメハラ氏の言葉が当てはまると思った。
ゲームの初心者が、最初は上達するが、しばらくすると「飽きた。ゲームに飽きた」と言う。だが、梅原氏に言わせるとそれは違う。ゲーム自体ではなく、自分が成長しないことに飽きたのだ。
source:【やじうまPC Watch】四半世紀もの間、格ゲー界頂点に君臨する梅原氏が出した、一度別れたリュウに戻る理由 ~自分で決めたと思っていたことが、そうでなかったと気付いた - PC Watch
自分が成長しない事に飽きた、まさにこれだと思う。
書き換えると、「ブログの初心者が、最初はネタがあるが、しばらくすると「飽きた。ブログに飽きた」という。だが私に言わせるとそれは違う。ブログ自体ではなく、自分が成長しないことに飽きたのだ」になる。
私は成長する気も続けるつもりもなかった、飽きたと思った事は何度もあったけれど続けている理由は、PC修理工場をやめた後ブログを書き始め、ネタが切れても、「ネタになりそうな構成のBTOパソコンの新製品は無いだろうか」と探し、無ければ無いで「BTOでは無くともPCなら」、それも無ければ「何か近いやつを」と探しまくる。
同時にそれらは書くという行為で勉強、知識となっており、イコール成長しているとも取れましょう。3~4年に一度のペースでPC自作する時もすらすらと組合せが分かる。ブログ書いていなければ今ソケット何だろう?Core i9とは何だ?になるはず。
また、他人から「おすすめのメーカーとか自分の用途に合うパソコンを教えてくれ」と言われたなら、30分もあればメーカー違いで3機種くらいは提案できる。おすすめの特定メーカーは無いけれど、今避けるべきはどこか判っているつもり。
そして成長し続けることでセンスが磨かれるのだと思う。それはネタにする記事選びのセンスとか、昔を思い出して「PC修理でこんな事があった」と語るセンス。そう考えると私もプロのブロガーと言えるかも知れない。これで食って行こうとは思っていないので自らの意識としてはプロとは思っていないけれど。
他人からのプレッシャーはない
オフラインの友人や知人から時々言われる、「それほどアクセスあるならプレッシャーも比例して凄いのでは?」というお問い合わせ。ゼロでは無いだろうけれども、他人からのプレッシャーは感じた事が無い、または意識した事が無い。
なぜかは徐々に慣れて行ったのかも知れないけれど、そんなものより自分から自分へのプレッシャーが強烈過ぎて比較にならないのだと思う。今日もブログ書かなければ死ぬくらいの勢いな義務感。
どのくらい他人と自分からのプレッシャー、義務感が違うかと言えば、記事は毎日更新するけれど、私がコメントにフルレスしないところが分かり易いかと。コメントへの返信は気が向いた時とか、ふと濃い目の返信を思い付いた時だけ。
例として毎日返信される、毎日更新な私と張り合ってくれているのかと疑っている庶民Aさんへさえ私からの返信率は1割未満なはず。記事へのコメントでキャッチボールは一度終わっているし、そういう事を気にされないから庶民Aさんも毎回コメントされるのかと。
普通は、「コメントありがとうございます」とか言ってフルレスするのが日本の常識なのかも知れないけれど、海外では投稿者は基本返信していない。返信は読むものであって、何か理由が無ければ返さないという考えも違うのかと。
アクセス数伸ばしたいなら訪問者へ媚び売るべきとも見えるので何か嫌という意味もあるけれど、コメントへ返信している暇があるなら1記事書く、ネタがまだならネタを探す、そちらの方が大優先。
「毎日書けよ必ず」という自分から自分へのプレッシャーから一時的に解放された深夜3時とか、1記事行ける、これは書きやすいと確信したネタを発掘した0時頃にコメントへ返信する事が多い。
10周年目指すつもりは毛頭ない
毎年この日に「ブログ始めてn年」記事を上げるとコメントでめでたい感じに言われるのだけれども、私に言わせると「もうn年もこんな事やっているのか」という自分に対して呆れた気分になるのでめでたい感覚が無い。
他人が継続してやっていたなら素直に凄いなこの人と思うけれど、自分がやるとアホなのかな?が先に来るというか、本当にあきれる。ただただ呆れる。
ブログ書くために1日平均2時間割いているとすると1年で730時間。24時間で割ると約30日。10年続けると10ヶ月ほど私は自分で寿命を縮めてしまっている、何か他の事に時間使えば?と思ってしまえる。
しかしやめたならおそらく、ゲーム、マンガ、映画、テレビはもう無いとしても娯楽しつつ酒とタバコ飲んで寝て起きて仕事してゲーム~の繰り返しならば、検索にヒットして問題解決になるとか、毎日更新して私の考え方へツッコミを入れてもらえる方が有意義とも思える。
この考え方はいつまで続けるという感覚では無いので、二桁となる10年続けている(キリッ とか自慢したくは微塵も無く、別の有意義な時間の使い方を発見できたならば、ある日ふとフェードアウトするのだと思う。その時は更新終わりとか書かない。管理画面開かなくなる、オンラインゲームやめる感じだろうと予想。
私が死んでも同じ。以前はヒツジ先輩補完計画として私の死後は影武者がなりすます2代目計画があったけれど担当者がいなくなってしまったので消滅。出来てもここまでクセのある文章を真似るのは他人には無理だとも思う。
ブログ続けてn年が増えるに比例し、自分の自分に対する呆れ度やため息の深さが増加するという、本当かよと思ったならやってみると解る。10周年目指すつもりは無いものの、このまんまが続けば、気がつけばそうなるのでしょうな。
ここまで約8千バイト、全角換算で約4千文字。400文字の原稿用紙ぎっしり詰めて書いたなら10枚分。子どもの頃、読書感想文が4行以上書けなかった私と比較すると大成長ですな。
毎日更新と言えばこの人。
ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/home.html
1998年、約19年前から毎日更新しているらしい、糸井重里氏のエッセイが中心なコーポレートサイト。糸井氏と言えばゲーマー的にはファミコンのマザーのシナリオ。プロが書く文章というものは本当に凄い、読みやすい、わかりやすい、頭に自然と入って来る。
私が書く作文は全く逆だと思うのだけれども、なぜ毎日読む人が続出してしまうのか、過去記事コンプする変態が続々と現れるのか本当に謎。ちなみに私は過去記事を読む事は滅多に無い。
肝臓やらかしているので長くは続かないかも知れないけれど、暇ならもう少しお付き合いあれ。10年に向けて目標設定はございません。そんな事をしなくとも書き続けてしまう。
>自分に対して呆れた気分になるのでめでたい感覚が無い。
じゃあ、お祝いコメントはやめとく。動機は何であれ9年は単純にスゲーなと思うし、敬意は表しておく。
あと、世話になっているので、感謝の意も。
9年といえば、小学校へ入学した子が中学校を卒業するくらいの年月。なかなか長いなと思いつつ、光陰矢の如し。過ぎてみればあっという間、というのはよくある話。
>「1年で1日1千アクセスを目指す」と決めたからには目標を達成したい
私がブログを書く際は、毎回テーマを決めて開設し、期間厳守で閉鎖しています。パソコン関連なら「実用的なフリーソフトを50種ほど調べ上げ、3日に1回のペースで投稿。週末に新たなフリーソフトを開拓し、記事の投稿数が100に達した時点で閉鎖」という感じ。
期間を決めているから気が楽。昔から長距離走より短距離走が好きなため、ブログを長く続けることは苦手な模様。
>会話をする時は役に立つか笑えるかのどちらかであるべき
私の主義は「なるべく興味深くなるよう」です。ただの意味深で終わらないよう注意が必要。上手い言い回しなんぞ考えられたら最高ですけれど、ご覧の有様で上手くは行かない様子。
>トップページから読もうとすると何年か前の日付で終わっている
トップページを開くと、下の方に「しばらく更新が無い場合に表示されます」と黒帯が現れるサイトはあるある。10年後にふと自分が放置した痛いブログなんぞに遭遇すると、パスなんぞ忘れているでしょうから編集も削除もできず、冷や汗が止まらない事態になるやも。
>自分が成長しないことに飽きたのだ
つまり「テレビがつまらないと感じる」のは「昔と今でテレビの内容が変わっていない」=「テレビ業界が成長していない」ということですかね。それとも視聴者側がテレビを楽しもうという気概を無くしたせいか。
>「コメントありがとうございます」とか言ってフルレス
自分のブログでもそんな所業はやった経験なし。記事を書くので手一杯なのに、コメントへ返信なんぞ面倒です。返信するなら「コメントありがためいわくでございます」とか書きそう。
>プロが書く文章というものは本当に凄い
長い小説でも短いキャッチコピーでも、プロの文章は読ませる力が強いですね。同じ材料を使っても、素人と料理人では作る料理に雲泥の差が出るのと似たり。
>なぜ毎日読む人が続出してしまうのか
徒歩で通勤通学しているとして、道中に中身が変わる自動販売機が置いてあったら、買う買わないはともかくとして、ラインナップをつい確認したくなるのが人情では。
更新が毎日だから訪れる頻度も毎日、という感触。ただし中身がゲテモノばかりなら、いずれ訪問者は消えるはず。開設から9年を経てもそうなっていないなら、中身の質も伴っている、という訳では。
勉強になるブログありがとうございます。
>SEO
何それと思い検索しました。私には難しくて理解できませんでした。
SEO(検索エンジン最適化)とは | SEO基礎知識 [SEO HACKS]
https://www.seohacks.net/basic/knowledge/seo/
>読みやすい、わかりやすい
最近はスマホでブログを読んでいますがデザインも違和感はありません。iPhoneですが画面を2回タッチすれば、拡大されて読みやすくなります。とても便利です。
他の方のブログは、まれに拡大できないサイトがあります。本文が明朝体のサイトや背景が黒も読みにくいです。
背景が白くシンプルなデザインでゴシック体が好きです。
>私が死んでも同じ
死なないでください。
>過去記事
過去記事は全部読んでませんが勝手に評価シリーズやQ&Aは読みました。
何故、勝手に評価シリーズがトップページにあるのか疑問ですが。
>肝臓
ご無理なさらずに、お体に気をつけて下さい。
趣向を変えて1週間ほどフルレスしてみましょうか。
>お祝いコメント
私が何とも思わないだけでどう言うかは自由なので関係ございません。私は他人へ「がんばれ」と言いたくない=無責任な気がするのだけれども、他人から「がんばれ」と言われても特に何とも思わない、な感じ。
デキ結婚式の新郎が苦虫顔していても他人はとりあえず「おめでとう!」という。言われた新郎は「まあ、ありがとう」という。嬉しくはなくとも悪気無ければ悪い気はしないだろうし、せいぜい何とも思わない程度かと。
>小学校へ入学した子が中学校を卒業するくらいの年月
そう思えばまさに光陰矢の如すぎる。子どもの頃は1日が長かった。今は「え、もう金曜?日曜まとめ記事行けるから楽な日」としか思えないほど毎日が同じことの繰り返し、なのでしょうな。
>「なるべく興味深くなるよう」
限定的ながらもコメントありなブログやって(私が)唯一楽しいのがここで、主観で何でも書いてしまうところへ「いやそれは違う」が楽しい<とても酒が旨い
逆に昔ながらのこういうやり取りが嫌いというか面倒。
管理者「コメントありがとう~今後とも~応援~」
コメント「いえいえがんばって~これからも~」
↑何かとリソースの無駄。
コメント「そうじゃねえだろ。ここはこうで~あれがこうで~ソースは~」
私「ご指摘ありがとうございます。あまりにも勘違いひどく本文を訂正」
↑記事の品質が改善(向上)された。
間違いの指摘以外に私が特に大好きなのが、どれほど私が正論を書こうと全否定してしまうコメント。名前忘れたけれど8大好きな人が大好きだった。そういう考え方もあるべき、私に同調できない人も反論コメントを見て楽しめるはず、そう思うとそのページの品質が上がるし、もしヒツジ先輩正しいと思う人が大多数ならば私のカリスマ性が上がるといういやらしい考え方もしております。
>「しばらく更新が無い場合に表示されます」
庶民Aさんがどこまで本気でサイトで遊ばれているか知らない前提でいうと、CMSを何か1つ覚えてサブドメインを量産すれば1アカウント管理でそうはならないので、今後もその手の趣味を続けられるならご一考の価値あるはず。
当サイトのドメインは bto-pc.jp これに MovableType というCMSを入れており、サブドメインで例として sp.bto-pc.jp を作りオールフリーな WordPress をぶち込めば1アカウント2ブログ。サブドメインはサブディレクトリで設定するだけ。
>道中に中身が変わる自動販売機が置いてあったら
分かり易い。ビールやチューハイ、ジュース類には興味ないけれど、最近増えて来たコンビニのデカい自販機(惣菜とかサンドイッチとかあるやつ)の前を通ると今日は何があるのか見てしまう。新聞のコラムのようなものかも知れない。
>iPhoneですが画面を2回タッチすれば、拡大されて読みやすく
そう、なるのでモバイルファーストとか(当サイトには)要らないと思っているけれど、Google先生のご方針としては対応しなければ、個人ブログなのにSSLも対応しなければ、がヒトラー並な強制のようでウザい。
当サイトは昔ながらのカラム(ペイン)分け、floatという設計なので中央をダブルタップすれば真ん中だけ拡大されるし、もし必要なら左右の縦列をダブルタップすればそこだけ拡大される仕様。ユーザビリティ(使いやすさ)に優れていると自負しております。
>死なないでください
明日死んでも良いくらいの勢いで生きているので割と死にたくないとは思っていなかったり。
そう言えば初音ミクは今年の8月31日で10周年を迎えましたね。
10周年の節目だと言うのに、今年は後述の通り、あまりお祝いができませんでしたがw
>自分が成長しない事に飽きた
私もブログもプログラミングも中断状態なのは成長しないことに飽きたのかもしれませんw
ゲームに飽きやすいのもなかなか進まないからだと思いますw
ブログは去年まではネタはあったんですが、今年に入ってからPCやボカロへの興味を急速に失い、政治の知識もほとんどつかなかった…ってことで初音ミク10周年を機に現在は中断宣言をしていますw
あと興味が変わりやすいのも自分の知識に限界を感じるからですねw
>以前はヒツジ先輩補完計画として私の死後は影武者がなりすます2代目計画があったけれど担当者がいなくなってしまったので消滅。
なくなってしまったんですか!?w
ヒツジ先輩が亡くなったらこのブログも終わりなんですね…w
羊先輩、ブログを続けて下さりありがとうございます。羊先輩の書かれている内容は、私にはとても納得出来ます。これからも楽しみにしています。
>自分が成長しない事に飽きた
加齢と共なあるあるだと思う。PHPは5年くらい前に飽きた、当サイト独特なのSSIも8年くらい前に飽きた。PerlもRubyもやる気ない。私が今35歳くらいだとしたならまともに働ける時間は残り最大で25年くらいだろうから、ここから記憶力低下するならば、やることを絞って行くしかないと思っております。
>ヒツジ先輩が亡くなったらこのブログも終わり
終わり。私が死ぬより先にパソコンが無くなってしまったならそれでも終わり。今時ゲームボーイやメガドライブ改造とかそれらハード対応ゲームの攻略サイトとかやっても誰も知りたくないと同様。
疑問なことは、私がボカロとか政治関係には興味無かった頃から窓辺ブログは時々読みに行った。それは記事の内容が何であろうと「この人は何を考えてこんな真剣に文字を書いているのだろう?」「これほどのソースをどれほど時間かけて集めてリンクしたのだろう?」「どれほどこの1記事に心込めて伝えたかったのだろう?」と不思議に思った。
当時はボカロとかオタク向け。政治は日本の中の偉い人に任せとけばOK派だったので不思議すぎて気になったという経緯がございます。
更新する気がなければ放置するべき。するべき時がもう来ないと悟ったりガチで飽きたらラピュタすればいいだけ。私ら個人ブログが更新やめても誰も困らない。しかし更新して1人でも笑ってくれたり1アクセスに対して役に立てるならOKなのが粋かも知れない。
気が向けばページ開いてどうぞ。気にならなくなればぜひ忘れる前に一度来てもらい、「こいつまだ意地張って続けているか」と確認して笑ってもらえれば幸いかつ光栄。
情報収集の一環としてまとまっているのでありがたいです。読ませるプロの書き方があるのかとも思いますが、整理されていればそれで良いかと。
そういう考え方もありなのかと知った。私も別に文法とか文章力なぞ関係なく、ただ面白いか役に立つページなら読んでしまう。体裁ではなく本質ありきと思い込むことに。
>PHPは5年くらい前に飽きた
私もWordPressにとっくに飽きていますしw
>当サイト独特なのSSI
どこで使っていますか?w
>今時ゲームボーイやメガドライブ改造とかそれらハード対応ゲームの攻略サイトとかやっても誰も知りたくない
今更PC向けの記事を書いても時代遅れな気がしますし、かつてほどPCにハマっているわけでもありませんしw
これも成長しないから飽きたと言えますなw
>当時はボカロとかオタク向け。
今や有名アーティストとの共演は当たり前ですねw
あと、ブログが更新できないのは時間が取れないこともありますw
時間に余裕が出てきたら再開する可能性もありますが…(必ず再開するとは言っていない)w
>WordPressにとっくに飽きています
プログラマに多い気がする、WordPressに飽きた系。
私もWordPressのサイトは http://nationaldefense.jp/etc/reply2 で作ったけれど、目的はサイトの稼働であって作ることではなかった。しかしデザインとかプログラマは完成して満足に動くようになった時点でゴールな人多い気がする。きっちり更新されていたのでありちゃんは違うとも思う。
>>当サイト独特なのSSI
>どこで使っていますか?w
SSIがServer Side Include以外の意味なら失礼。このサイトのCMSはWordPressとは違うオリジナルなSSIを使わねばならず、ゲストブックの不具合をどうにかできるか?と思っているソースがこれ。多分ほとんどの人には7割くらいしか分からなさそうで困る。私(管理者権限)がテキストでここへ書くと動いてしまう可能性があるので画像で。
http://userimg.teacup.com/userimg/6217.teacup.com/bto/img/bbs/0000049.png
>ブログが更新できないのは時間が取れない
「時間が取れない」は言い換えると「優先度が低くなった」とも。
仕事なら「バタバタしていてできなかった」<優先度が低かっただけだろ?
低くて結構。しかしそのブログを更新することで何らかの意義があったならば放置はもったいないとも思うし、ただの時間の無駄だと気付いたとか飽きたならば放置でよろしいかと。
>プログラマに多い気がする、WordPressに飽きた系。
私が今一からWordPressのサイトを作ろうとしても作れないと思いますw
一度作ってしまったら忘れてしまうのでw
>一度作ってしまったら忘れてしまう
ほんこれ。本職として生業としているプログラマなら何度も何度も似たような文字を書いて覚えてしまうのだろうけれども、今分かるならOK的付け焼き刃な私はその時しか覚えていないというか次の日忘れるレベル。
では覚えるほど、反復しまくるほどやれば良いのかと言えば、作業して金もらって食って行くならそれで良いとは思う。しかし私のように「パソコン好きだから修理してみよう」とか思って毎月数百台直しまくると1千と200台過ぎた頃から嫌になって来る。
プログラミング楽しいからこそやりすぎたくない、という言い訳をしておく(きり